当ブログ「Higablog」を運営する私そして簡単に妻のプロフィールを書きました。
ご覧ください。
ヒガシ
- 名前:ヒガシ
- 出生地:新潟県魚沼市
- 現在住んでいる所:台湾台北市
- 言語:日本語、英語、中国語(ちょっとだけ)
- 留学経験:イギリス、アメリカ、カナダ
- 趣味:ラーメン屋巡り、カフェで勉強、ラグビー観戦、旅行、アニメ鑑賞(特にガンダムやスポーツ系アニメ)
幼少期〜小学生
幼少期の記憶はほとんどありませんが、親からはすごくわがままな子供だったと聞かされています。笑
家でゲームばかりしていたため小学校3年生の時、親にラグビースクールに入らされました。
入らされたとはいえラグビーが少し好きになった私は、親の勧めもありラグビーの名門校(中高一貫校)に入るため中学受験をすることを決めました。
模試の判定E判定でしたが、慶応大学出身の父親からスパルタ勉強特訓を受け、ギリギリで合格しその学校に入学しました!
中学生〜高校生
無事入学できラグビー部に入ったものの、人に言われないと全く努力しなかった私は、小学生時代の財産が少しはあったとはいえ気づくと同学年の子と差は歴然についていました。
中学3年の時には公式試合に出場する機会はほとんどなく、最終的に練習についていくこともできなくなり高校に上がるタイミング部活を辞めました。
努力の努もせず迷惑をかけた当時のチームメイトには申し訳なかったと思っています。
また勉強面でも県内では比較的勉強ができる人たちが集まる学校だったので、そんな中勉強もほとんどしなかった私の成績は学年でも最下位クラス。
部活を辞めた後も高校3年生まで特に新しいことにチャレンジせず、周りに合わせて生きてきました。
大学受験(現役も)も偏差値45ぐらいでしたが、見栄を張りMARCH以上(偏差値60前後)の大学受け全滅し浪人することにしました。
少し勉強を好きになれた浪人時代だったが
このままだとさすがにまずいと思ったんでしょうね。
浪人時代は少し本腰を入れ勉強しました。
その甲斐あってか日本史で偏差値70越えることができたのは当時唯一の誇りです。
しかし今の大学入試は、英語の配点が高く上位の学校に受かるには必須科目。
英語は相変わらず苦手で上位学校は落ち、東京にある中堅の大学になんとか受かり入学を決めました。
高校まで特に際立ってやり遂げたことがなく「俺ってほんとダメだな〜」とこの時期よく思っていました。
親友との出会いで人生に転機をもたらした大学生時代
しかし大学に入りある親友との出会いを機に人生が変わりました。
その親友はすごく優秀。
なんでも器用にこなすタイプ。
人を見抜くのも上手で、一見できるオーラを出していたつもりが、その親友にはすぐ私の本質見抜かれ、勉強からプライベート(主に女性関係)まですごく鍛えられました。
親友との出会いを機に周りの目を気にせずチャレンジを始めましたが、初めはどんなことも失敗ばかり。周りから「あいつまた馬鹿してるよ」と笑われることも多かったです。
ただそんな時にもその親友だけはずっとそばにいてくれて支えてくれました。今でも感謝しています。
経済学部だったけどTOEICに夢中になった学生時代
コンスプレックスの1つであった勉強でも大学時代にTOEICという英語試験でスコアを280点(大学1年時)から805点(大学4年時)まで上げ、自分でもやればできるのだと自信を得ました。
試験自体は、4年間累計で10回以上受けました。
その親友も私同様にTOEIC200点台から勉強を始めましたが、私より1年先に800点越えをしました。
いつも負けず嫌いだった私の性格を見抜いた上であえて点数を自慢してきたので、私がイラつきそのイラつきをバネに勉強していたのをよく覚えています笑
3ヶ国に留学(イギリス・アメリカ・カナダ)
英語の勉強の一貫として親の援助もあり学生時代、3ヶ国(イギリス、アメリカ、カナダ)に語学留学や海外インターンにチャレンジしました。
初めての留学はイギリスでしたが、学校の研修プログラムだったので周りには日本人が多く、まったく英語を身につけられず悔しい思いをしました。
しかしイギリス留学の失敗の経験から、アメリカ・カナダでは1人で乗り込み、特にカナダ留学では、現地の貿易会社で2ヶ月間インターンをしました!
その結果TOEICの点数だけでなく、英語を話せるようになりました。
もし大学時代英語を勉強していなかったら、今の彼女と交際することもなかったので、勉強してよかったと思っています笑
女性関係
実は大学に入るまで女性恐怖症で隣にすわっている女性にすら話しかけらませんでした。
とはいえ彼女は欲しいと思っていましたが、一方的に食事を誘うもいつも断れる始末。
しかしコミュニケーション本での独学、欧米でレディーファーストの大切さを学び、親友や周りの友人の助けもあり少しずつ女性に慣れ、女性の友人が徐々にできました。今では私の友人は女性ばかりになってしまいましたが笑
その後年齢=彼女いない歴だった私が22歳の時にインターネットで出会った台湾人の女性と初めての交際。
そして交際4年目にして無事結婚しました。
社会人
新卒である日本の企業に営業として入社しました。
失敗をしながらも多くの貴重な経験をさせていただいたこと、また海外駐在員として台湾で働かせていたただいたことには感謝をしています。
しかし入社3年目で台湾で働いている間、このまま一従業員として会社に属して働くこと、そして会社員として私の人生の貴重な時間が拘束されることに対して疑問を抱きつつ、自分の人生の道は自分で作って行きたいとの想いから会社を退職しフリーランス(個人事業主)になりました。
現在運営中のWebサイト・SNS・サービス
現在はこのブログ(2018年で停止)から離れ、ホテル情報サイトの運営からYouTubeで台湾の魅力を世界に発信しています。
また「Higashi Lounge」というオンラインコミュニティも運営しています。